メガネッシュと呼ばれた男

190センチを越え、140キロの速球を投げる
中学3年生がテレビにでていて
「こいつすげえな、どこに行くのかな」
と思ってたら
宮城県東北高校に進学します」
とか言ってて、食卓が静かになりました。

うちの母が「終わったね。彼は顔もかっこいいし
あんたはメガネだから負けだね」って。

矢崎良一らの『聖地への疾走』で
東北高校OBの真壁選手、横田選手のエピソード
大沼、伊藤篤、采尾、家弓、若生氏など
懐かしの名前がでてきます。

真壁選手の高校を卒業してからの苦悩はリアルだったし
横田選手に至っては
プロ野球選手の夢を寸前で手放した
父親、あるいは母親との関係が詳細に描かれています。
いい環境で野球をするために、転校して行く(岩切中→八木山中)って、凄い発想です。

非常に面白い内容でしたが
ダルビッシュ「と」セットで語られ続けたことは
彼らの高校時代、もしくはその後の野球人生に対し
プラスばかりではなかったでしょう。

松坂世代」においては
それがチームや県境を越え、全国的に松坂大輔「と」その他
という構造になってますが
もし、ダルビッシュらの東北が甲子園でも頂点に立っていれば
彼らはまとめて「ダルビッシュ世代」だったのでしょうか。


つい先月、神宮球場まで
センバツに出場する東北高校を見に行きました。
非常にねばり強いチームで
152キロ右腕の釜田を擁する金沢を下した試合です。

確かにいいチームだと思いましたが
真壁クラスの投手がいればエースで使われるだろうし
横田、大沼、家弓、伊藤篤らがいれば
4番を打っているだろうなと思いました。

やはりダルビッシュを中心とした
2004年チームは最強メンバーの集合体だったのでしょう。

それでも、そういうチームが
今のチームよりも「勝てるのか」は分かりませんから
組織って不思議だなと思うわけです。


ちなみにこの本には
出ていないことですが
仙台育英の休眠によって、強力選手が集まったのは
東北高校だけではありません。

私学3強の一角・東陵もまた
このときは本当に強かった。

エースは村田一中で、真壁を押し退け
背番号1をつけていた佐藤佑太。
真壁投手と同じ右横手投げから145キロ近い
ストレートを投げていました。
「島影アイス」に関係あるご家庭だという噂の
島影龍馬(現かずさマジック)が
このときの東陵で4番を打っていました。

これらの仙台近郊からの野球留学組に加え
気仙沼の「海の男たち」が融合した東陵は強かった。
ストップ・ザ・東北の1番手と見られましたが
勝戦を前に、ノーシードの利府に
まさかの敗退。残念でございました。


しかし実質、あのとき宮城県内で
東北を止められるチームは存在しなかったと思います。
仙台育英がいても無理だったでしょう。

ダルビッシュ等を打てないのは
もちろんですが
とくに家弓、大沼、横田、伊藤あたりの打球が
殺人的な速さで
ファースト、サードあたりを守っている相手選手が
本当にかわいそうな感じだったから…。

ゴロを体で止めろとか
前進守備でバックホームしろとか
ちょっと無理があった。


最近の東北や育英は
公立校ともガチ感たっぷりに競り合ってますが
何年かに1度でいいから
すべてを「その他」にしてしまう、あのときの東北みたいなチームを
見たいような気もします。

高校野球のチームでは、あのときの東北高校
大阪で見た大阪桐蔭の打球音が
一番やばかった気がします。
(ちなみにそのときの大阪桐蔭は、夏の甲子園に行けなかった)